コレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」(8)

2020.3.8

横浜市民ギャラリーコレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」の魅力をお届けするブログ第8回です。
(3月15日(日)まで毎日更新予定)

本日3月8日は、本来であれば「鑑賞サポーターによるトーク」の開催日でした。ということで、今日のブログではサポーター活動の様子をご紹介したいと思います。

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■ 鑑賞サポーターの活動


当館のコレクション展では、毎年鑑賞サポーター(ボランティア)が活躍しています。この活動は2017年から始まり、今年度で4回目。毎回メンバーを募り、コレクション展が始まる前の年明け1月から約2か月にわたって研修を行います。作品や作家について調べて理解を深め、それぞれの経験をもとに身近な視点で作品の魅力を伝える活動を行ってきました。鑑賞サポーターは、作品と来館者のみなさんをつなぐ役割を担う存在となっています。


今年度は8名のメンバーが参加し、4回の研修を行いました。

今回のコレクション展では

(1) 展示作品の中に登場する横浜のスポットの紹介文を執筆し、会場にパネルで掲示すること
(2) 鑑賞サポーターがそれぞれのおススメ作品を紹介する「鑑賞サポーターによるトーク」を実施すること

という2つの目標にむかって活動を進めてきました。


研修はグループワークで行いました。2グループにわかれ、どの作品についてトークするか話合ったり・・・


調べたことをまとめて原稿を書いてきたら、お互いに読みあい、修正して紹介文を仕上げました。横浜のスポット紹介を書くからには!と、多くのメンバーが現地まで足を運んで情報収集もしました。


作品図版を前にトークの練習も。みんなで「ここがいいね」「ここは直したら?」と意見しあって進めていきました。



■ 鑑賞サポーターによる「作品に描かれたスポット紹介」前編


メンバーもスタッフも楽しみに準備してきた「鑑賞サポーターによるトーク」は今回残念ながら実現できませんでしたが、<鑑賞サポーターによる「作品に描かれたスポット紹介」パネル>は無事完成しました!その内容を2回にわけてご紹介しますので、どうぞご覧ください。




1. 横浜赤レンガ倉庫

撮影:鑑賞サポーター

多くの観光客が訪れる近代産業遺産である横浜赤レンガ倉庫は、明治末期に最新鋭の倉庫として着工されました。当時は人や物流の拠点として賑わいましたが、関東大震災で被災し、戦後は連合国軍に接収。後に再び倉庫として利用されましたが、コンテナ輸送の台頭にともない、1989年に廃止になりました。その後、横浜市は新港地区のシンボルである赤レンガ倉庫を中心に、歴史と景観を活かした街づくりを進めました。本展出品作から赤レンガ倉庫周辺の1970~80年代における港の変遷がみえてきます。

[サポーターおすすめポイント!]
横浜港を見守る横浜のシンボル・赤レンガ倉庫は、青い空に映える姿が印象的です。

2. 横浜港大さん橋国際客船ターミナル

撮影:当館スタッフ

横浜開港の象徴・大さん橋は、166年前この地にペリーが来航し、のちにできた波止場の防波堤「象の鼻」に端を発します。1894年に457mの鉄桟橋が完成すると、貿易で横浜の発展に貢献しました。関東大震災や戦争を経て、客船氷川丸が米シアトル航路に復帰、ブラジル丸が中南米への移住者を乗せるなど、多くの外国客船が運行し、大さん橋は見送りの客で溢れ返りました。当時は海外への玄関口として夢と希望を乗せ世界各地を結び、豪華客船や外国人の見学に2万人が詰めかける活況の時代でした。増改築を重ね、7代目の現在もクルーズ客船が多数寄港しています。

[サポーターおすすめポイント!]
大さん橋は、まさに横浜の発展と人々の喜び悲しみを見守ってきた港の原点!

3. 横浜税関(旧神奈川運上所)

撮影:鑑賞サポーター

イスラム風の緑青色のドームを持つクイーンの塔と呼ばれる庁舎は、キングの塔(神奈川県庁本庁舎)・ジャックの塔(横浜市開港記念会館)とともに「横浜三塔」として親しまれています。完成時には横浜で最も高い建物で、印象的な意匠から絵画等の題材とされることが多く、本展でも数点見られます。前身は江戸幕府の「神奈川運上所」。1859年横浜港の開港に合わせて関税徴収などのために現在の県庁敷地内に開設後、明治政府に引き継がれて1872年に「横浜税関」と名称変更。1934年に現在地に移転し、関東大震災の復興事業として建築されました。

[サポーターおすすめポイント!]
横浜三塔を一望できるスポットが大さん橋と赤レンガ倉庫にあります。


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■ きょうの1点 mini

天笠義一(1921-2007)

《横浜港》1982年 油彩、キャンバス 97.8×130.8cm
この作品の解説はこちら

こちらの天笠義一の作品には、上記にご紹介した横浜赤レンガ倉庫と横浜税関が描かれていますね。当館の所蔵作品には横浜風景を描いたものが多く、こんなふうに作品のなかにいろいろなスポットを探し、その歴史をたどってみるのも楽しいものです。
サポーターによるスポット紹介と、本ブログでご紹介する作品、ぜひあわせてご覧になってください!

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サポーターによるスポット紹介[後編]は、3月14日のブログでお届けします。どうぞお楽しみに。

コレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」(7)

2020.3.7

横浜市民ギャラリーコレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」の魅力をお届けするブログ第7回です。(3月15日(日)まで毎日更新する予定)
本日は昨日に引き続き、第2章「描かれた横浜港 1940~80年代」からの1点です。

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■きょうの1点

國領經郎(1919-1999)

《完成近いベイブリッジ》1988年 油彩、キャンバス 80.4×116.7cm


横浜生まれの國領は、1939年東京美術学校(現・東京藝術大学)師範科に進学。戦争のため同校を繰上げ卒業後に新潟県柏崎市で教員となり、従軍・復員後も同市で教鞭を執りながら作品の発表を始めました。後に東京を経て横浜に転居、1968年から1985年まで横浜国立大学で後進の指導にあたりました。1950年代中頃から60年代に取り組んだ独自の点描表現を経て、70年代から砂丘をテーマの中心に据え、より緻密でシュルレアリスティックな表現に没頭していきます。
本作は1988年「横浜百景展」のため描かれました。建設中の横浜ベイブリッジを望み、明け方にも夕方にも見える空の色が波静かな海面に映っています。人気のない静寂な雰囲気が超現実的な印象を与えます。

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コレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」(6)

2020.3.6

横浜市民ギャラリーコレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」の魅力をお届けするブログ第6回です。(3月15日(日)まで毎日更新する予定)


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本日は、展覧会の第2章よりお届けします。


2. 描かれた横浜港 1940~80年代


当館所蔵作品には横浜港を描いたものが多数見られます。多くの作家を惹きつけたモチーフは、故に多様な表現を生みました。岩田栄之助(1899-1985)の《終戦後の横浜港》(※下記「きょうの1点」で紹介)では、フランス領事館を中心に、画面上方に横浜港が描かれています。1953年に建造が開始された山下ふ頭の姿はまだありません。


天笠義一(1921-2007)の《横浜港》(※2枚目写真右端)では横浜三塔の一つ、クイーンの塔(横浜税関)や赤レンガ倉庫などの位置が画面の中で再構成されています。画中の白い絵具の施された部分は地面にも水面にも見え、不思議な印象を与えます。


水彩作品はいずれも1979年に開催された横浜開港120周年記念「横浜百景展」の出品作です。同展では地元の画家が横浜市内の風景を写生した新作を発表しました。鉛筆と水彩で港の見える丘公園をスケッチした遠藤典太(1903-1991)(※4枚目写真右)、墨を用いて家並みや高速道路の向こうに見える横浜港を見下ろす風景を描いた古川益弘(1931年生まれ)(※4枚目写真左)。当時の横浜港の多面的な姿が見えてきます。



■きょうの1点


岩田栄之助(1899-1985)

《終戦後の横浜港》1947年 油彩、キャンバス 65.6×80.5cm


山手の丘から見下ろした戦後の横浜港は、穏やかで落ちついた様子です。手前には谷戸坂下にあったフランス領事館が大きく描かれ、真っ直ぐに立つトリコロールの旗が作品全体を引き締めています。堀川の向こう、山下公園方向にアメリカ領事館の星条旗も小さく見えます。夏を思わせるさわやかな水色の海には、港を取り囲むように左右から防波堤が伸び、先端に赤と白の灯台が建っています。大型船航行のため白灯台が撤去される1963年以前、山下ふ頭の姿もまだない横浜港の風景です。
岩田は横浜に生まれ、1931年の横浜美術協会設立に関わるなど、横浜の美術振興に尽力しました。本作とほぼ同じ構図で何点か制作しており、この眺めはお気に入りの横浜風景だったのかもしれません。


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コレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」(5)

2020.3.5

横浜市民ギャラリーコレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」の魅力をお届けするブログ第5回です。
(3月15日(日)まで毎日更新予定)
本日は第1章「写真でみる戦後―昭和のミナト 横浜」から最後のご紹介となる1点です。

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■きょうの1点


小野 肇(1913-1999)

《横浜駅と港を望む》1988年 カラー・プリント 56.2×45.8cm


小野は、新潟県生まれ。医師として病院に勤務する傍らで写真を撮り続け、1988年に横浜市民ギャラリーで開催した「横浜百景展」への出品を機に横浜の風物をテーマに撮影するようになりました。
本作は、横浜駅付近のビルの屋上から写された作品です。横浜港のはるか奥、画面上方に、橋桁が出来る前の横浜ベイブリッジを見ることができます。百貨店や銀行などのビルが立ち並び多くの車が行き交う横浜駅と、ふ頭に大小さまざまな船が出入りする横浜港の風景が、画面中央の高速道路を境に上下にとらえられています。小野は、一枚の写真の中に横浜の多様な情景を写し出しています。

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■トピックス ― 所蔵作品検索ページ

横浜市民ギャラリーが所蔵する約1,300点の全作品データを、2018年度よりホームページ上で公開しています。
所蔵作品検索ページはこちら 
作品画像の掲載点数も今後徐々に増やしていく予定です。
みなさまの調査、研究などにぜひお役立てください!


コレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」(4)

2020.3.4

横浜市民ギャラリーコレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」の魅力をお届けするブログ第4回です。(3月15日(日)まで毎日更新する予定)
本日も引き続き、第1章「写真でみる戦後―昭和のミナト 横浜」からの1点です。

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■きょうの1点

浜口タカシ(1931-2018)

《最後の移民船》1973年 ゼラチン・シルバー・プリント 36.7×49.9cm


静岡県生まれ。1955年に横浜に移住。1956年日本報道写真家連盟に加入。1966年に横浜美術協会会員、1969年に二科会神奈川支部の支部会長など、横浜の写真文化の発展に寄与し写真家の指導にも尽力しました。報道写真家として、東京オリンピック、安保闘争、公害問題、中国残留日本人の記録など、歴史に残る出来事を記録する一方で、生活拠点のある横浜の移り変わりを写し続けました。本作は、1973年2月に最後の南米移民船「にっぽん丸」が横浜港を出港する際に撮影されました。大量の紙テープが岸壁と船を結びながら絡み合う様子は、歴史的瞬間を伝えるとともに、見送る人と見送られる人との情緒あふれる別れの光景を想像させます。

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横浜市民ギャラリーでは、コレクション展2018「写真と素描でたどる横浜 1950-1980年代を中心に」に合わせて、浜口タカシ氏のインタビューを収録しました。インタビュー動画は、インタビューアーカイブからご覧いただけます。ぜひご覧ください!
インタビューアーカイブ→https://ycag.yafjp.org/our_exhibition_archive/interview-archive/


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