2020.3.13
横浜市民ギャラリーコレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」の魅力をお届けするブログ第13回です。
(3月15日(日)まで毎日更新予定)
本日は昨日に引き続き、第4章「港と水辺 アラカルト-版画と漫画の多様な表現」よりお届けします。
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■きょうの1点
柳原良平(1931-2015)
《運上所と英一番館》1988年 ポスターカラー、紙 72.1×102.4cm
東京生まれ。1964年に横浜に移住。画家、漫画家、イラストレーター、文筆家など、幅広く活躍し制作に打ち込む一方で、「横浜市民と港を結びつける会」という市民団体を設立し、横浜海洋科学博物館(現・横浜みなと博物館)の存続を支援する活動や帆船日本丸の誘致運動に携わるなど、横浜の文化振興に貢献しました。本作は、柳原が中心になって開催された「ヨコハマ漫画フェスティバル」に合せて制作されました。神奈川運上所(現・横浜税関)と、日本に進出した外資系企業の第1号といわれる英一番館が、開港当時の和洋折衷の様子を表すように描かれています。
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■トピックス ― 「今月の1点」
横浜市民ギャラリーの所蔵作品は、当館発行の情報誌『横浜画廊散歩』でも1点ずつご紹介しています。
ホームページでは「今月の1点」からは解説もご覧いただけます。
誌面と合せてお楽しみください。
2020.3.12
横浜市民ギャラリーコレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」の魅力をお届けするブログ第12回です。
(3月15日(日)まで毎日更新予定)
本日は第4章「港と水辺 アラカルト-版画と漫画の多様な表現」よりお届けします。
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■きょうの1点
萩原英雄(1913-2007)
《港風景》1988年 木版 60.9×46.4cm
山梨県生まれ。1938年東京美術学校(現・東京藝術大学)油画科卒業後に浮世絵の複製を手がける高見沢木版社に就職しますが、5年後に召集。1953年結核のため療養所に入所し、その間独学で木版画の制作を始めました。初期の制作は木版社で学んだ技法を基にしていましたが、その後版木に建材やベニヤなどを貼り付ける製版法や、凸版が一般的だった木版の凹版化、本紙の裏から色を滲み出させる両面擦りなど独自の技法を多数創出し、後の版画表現に大きな影響を与えました。本作のような抽象表現に取り組む際、萩原は原画をつくらず、頭の中で組み立てながら版を彫り、摺り重ねていきました。木版のことを知り尽くした萩原ならではの手法です。
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■トピックス ― 所蔵作品検索ページ
横浜市民ギャラリーが所蔵する約1,300点の全作品データを、2018年度よりホームページ上で公開しています。
所蔵作品検索ページはこちら
作品画像の掲載点数も今後徐々に増やしていく予定です。
みなさまの調査、研究などにぜひお役立てください!
2020.3.11
横浜市民ギャラリーコレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」の魅力をお届けするブログ第11回です。(3月15日(日)まで毎日更新する予定)
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本日は、展覧会の第4章「港と水辺 アラカルト-版画と漫画の多様な表現」よりお届けします。
4. 港と水辺 アラカルト-版画と漫画の多様な表現
版画は木版や銅版などの主要な版種がよく知られますが、作家が創意工夫し技法を研究し、版と向き合うことから個性的な表現が多く生まれます。柴田昌一(1935年生まれ)はエッチングやアクアチントで漆黒の夜空を背景にみなとみらい21地区を描きます(写真上、左2点。下記「きょうの1点」で紹介)。巨大な月や手前の不思議な草木、幾何学的な構造物、そして浮かぶ船などを同居させ、幻想的な風景に仕上げています。由木礼(1928-2003)は、輪郭線を引かず複数の版を淡い水性インクで刷り重ね、空や海の色のグラデーションや、中央にそびえるタワー、海岸沿いの道路までも、やわらかにあらわします(写真上、右2点)。
版の上で試行錯誤を重ねる版画と対照的に、漫画作品は1978年の「ヨコハマ漫画フェスティバル」にあわせて展覧会直前に出品作家32名を一堂に集め、即興に近いかたちで描かれました。同展の中心人物・柳原良平(1931-2015)は、制作に際し作家に示した制作テーマのひとつ、横浜事始めを取り上げ、税関の前身である運上所や領事館が建ち並び、輸出入で賑わう開港期の横浜の様子を、ユーモアを交えて描いています(写真下、中央)。
■きょうの1点
柴田昌一(1935年生まれ)
《MM21(A)》 1988年 エッチング、アクアチント 29.2×37.9㎝
柴田は横須賀市生まれ。1960年に武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業。初期には平面とあわせ電気仕掛けの大型の立体作品も制作しましたが、銅版画家・加藤清美の作品に感銘を受け同氏の技法書で銅版画を独学で学びました。クリスチャンの柴田は聖書の世界観を基盤に、エッチングやアクアチントを主に用いて密集する無機質な構造物や植物が共存する近未来的な風景を制作してきました。本作には、巨大な月と近代的な建物が林立するみなとみらい21地区を背景に、日本丸に似た帆船が空に浮かぶ幻想的な風景が描かれています。作品が制作された1988年当時は沿岸にここまで多くの建物が出来ておらず、ゆえに想像を掻き立てられて描いた部分があるかもしれません。
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2020.3.10
横浜市民ギャラリーコレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」の魅力をお届けするブログ第10回です。(3月15日(日)まで毎日更新予定)
本日は特別展示「牛田雞村の描いた横浜―開港期の風景」から3点をご紹介します。
牛田雞村は横浜出身の日本画家です。今村紫紅らと親交が深く、実業家の原三渓から援助を受け、やまと絵の色彩やかたちに細微な描写を取り入れた作品を発表しましたが、1946年の院展出品を最後に画壇を去りました。横浜市民ギャラリーには雞村自身が横浜市に寄贈したといわれる作品が3点所蔵されています。このうち《蟹港二題》は関東大震災の3年後、1926年院展の出品作で、横浜の震災での被災状況を目の当りにした雞村が、横浜の復興を願って描いたとされています。
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■きょうの作品 その1
牛田雞村(1890-1976)
《藁街の夕(「蟹港二題」より)》1926年 絹本着彩 63.0×112.8cm
夜の闇と、そこに浮かび上がるガス灯や建物の中から漏れる光が印象的です。「蟹港」とは蟹が横歩きし、港が浜に通じることから横浜を、「藁街」は中国の漢時代に長安城中にあった町の名前から、転じて中華街を指すと考えられています。市街用のガス灯は1872年に国内で初めて横浜で点灯されました。1886年頃に当初の黄色い光から、本作のように青味がかったものに改良されています。人力車の車輪にゴムタイヤが採用されたのは明治20年代末(1896年頃)以降ですが、画中の車輪はそれ以前の鉄製のものに見えます。画面左に見える高いマスト状の構造物は、領事館などが旗を掲揚するポールです。雞村は横浜浮世絵や写真を参考に、特徴的な建物を組み合わせて画面を構成したようです。
■きょうの作品 その2
牛田雞村(1890-1976)
《蛮船の泊(「蟹港二題」より)》1926年 絹本着彩 62.1×112.9cm
穏やかな海面に、アメリカの軍艦が2隻浮かんでいます。左側の外輪蒸気船は船体に回された帯状の部分からポーハタン号と推測され、描かれているのは同船が艦隊の一部(のちに司令官が乗る旗艦)として交渉のためにやってきた、1854年のペリー再来航時の様子と思われます。同年2月初めに江戸湾・浦賀沖に入港してから3月末に横浜村に上陸するまで、艦隊は湾内に停泊しました。当時は多くの見物人が湾に押し掛けたそうです。画面右下から幕府側の交渉人が、右手より米軍の乗組員がそれぞれ船に向かっています。一見すると長閑な印象交渉を受けますが、両国の思惑が交錯する舞台でもありました。
■きょうの作品 その3
牛田雞村(1890-1976)
《関内》1926年 絹本着彩 63.4×100.5cm
「関内」は幕末、開港場の中心部と吉田新田の間に架けられた吉田橋に関門番所が設置され、その内部を呼んだことに由来します。浮世絵師・橋本玉蘭斎(五雲亭貞秀)の著作『横浜見聞誌』(初版から6版、1862~1865年)の中に、本作を反転させたような構図の挿絵が「本町南横通り」及び「本町北横通り」として掲載されています。画面右上の門を持ち塀で囲われた一帯は、現在の県庁の敷地内にあった神奈川運上所(横浜税関の前身)です。運上所を境に西側が日本人居住地、東側が外国人居留地に整備されましたが、日中は本作のように商店街を各国の人々が行き交い、活気に溢れていました。雞村は『横浜見聞誌』内よりも多くの国の人々を描いています。
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■トピックス ― 所蔵作品検索ページ
横浜市民ギャラリーが所蔵する約1,300点の全作品データを、2018年度よりホームページ上で公開しています。
所蔵作品検索ページはこちら
作品画像の掲載点数も今後徐々に増やしていく予定です。
みなさまの調査、研究などにぜひお役立てください!
2020.3.9
横浜市民ギャラリーコレクション展2020「うつし、描かれた港と水辺」の魅力をお届けするブログ第9回です。(3月15日(日)まで毎日更新する予定)
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本日は、展覧会の第3章よりお届けします。
3. 水辺と人びと
港や水辺に集う人の目的はさまざまです。働く人、旅立つ人、見送りをする人、散歩する人。水辺にて人は何を思うのでしょうか。林敬二(1933年生まれ)(※写真上・右端)は人物と浮遊感ある抽象的な空間とを組み合わせた画風で知られますが、《横浜港》では横向きの女性とともに建設中の横浜ベイブリッジを遠方に臨む風景が、具象的ながらも林らしいアレンジを加えて描かれており、林の作品群の中で他に類を見ない表現となっています。
三橋兄弟治(1911-1996)の《港にて》(※写真上・右端)は1940年の作品です。前年ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、日本も翌年参戦に向かうという世相下ですが、港に停泊する船を背に会話を交わしているようにも見える3人の人物の様子は、晴れの日ののどかな雰囲気を感じさせます。田中岑(1921-2014)の《窓外港 朝》(※下記「きょうの1点」で紹介)には人物が描かれていませんが、窓の前に座り、外の風景を眺める作家自身の存在を想起させます。
■きょうの1点
田中岑(1921-2014)
《窓外港 朝》1988年 油彩、キャンバス 111.8×161.3cm
田中は香川県生まれ。1939年東京美術学校油画科予科に入学後、海老原喜之助の勧めで日本大学芸術学科に転入。従軍・除隊を経て1947年に再度上京し、戦前は独立展、戦後は自由美術家協会や春陽会等を中心に発表、1957年第1回安井賞、1986年第15回川崎市文化賞を受賞しています。1950年代から国内で評価されていた田中は、1960年から約1年の渡欧の際、木村忠太や藤田嗣治らと交流し印象派に影響を受けます。そして帰国後に、明瞭な色彩と柔らかな筆致で光を描く画風を確立させました。本作はホテルニューグランドからの眺めでしょうか。窓から見える山下公園と穏やかな海の水面、爽やかな空気を感じさせる空が淡い色彩で描かれています。
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