U35若手芸術家支援事業の記録
2023(令和5)年度
新潟県長岡市に落とされた模擬原子爆弾投下跡地を主題とした写真・映像作品の展示。
“ 私の出身地である新潟県長岡市には、1945年8月広島と長崎に原子爆弾が落とされる前に米軍によって落とされた模擬原子爆弾投下跡地がある。これは「本番」に向けたデータ収集のため、開発された爆弾を模擬的に投下する訓練だった。長岡での死者は4名。現在この跡地の土手や畑や川には植物が生い茂っていて、地元の人が畑仕事をしている。
本展覧会のタイトルは制作の契機となった、スーザン・ソンタグの著書『他者の苦しみへの眼差し─REGARDING THE PAIN OF OTHERS』から引用している。この本の中で他者の苦しみを慮ることへの究極の困難さが綴られているように、私たちは遠くで起こった戦争のニュースや過去の記録を見ていても、そこにいる当事者と同じ気持ちには決してなれないし本質的には理解できない。
「理解できない」ということを前提にして、経験していない戦争をどのように想像していけるのか、歴史や死者たちと写真や映像を介してどのようなコミュニケーションができるかを題材に制作した。"
____________作家ステイトメントより抜粋
本展覧会では模擬原子爆弾投下跡地での写真群に加え自作のピンホールカメラで撮影した長岡の花火の写真、史実と作家のリサーチ資料、音楽家の梅原徹とのフィールドレコーディング作品、映像作品などさまざまなメディアで構成されます。
“ 私の出身地である新潟県長岡市には、1945年8月広島と長崎に原子爆弾が落とされる前に米軍によって落とされた模擬原子爆弾投下跡地がある。これは「本番」に向けたデータ収集のため、開発された爆弾を模擬的に投下する訓練だった。長岡での死者は4名。現在この跡地の土手や畑や川には植物が生い茂っていて、地元の人が畑仕事をしている。
本展覧会のタイトルは制作の契機となった、スーザン・ソンタグの著書『他者の苦しみへの眼差し─REGARDING THE PAIN OF OTHERS』から引用している。この本の中で他者の苦しみを慮ることへの究極の困難さが綴られているように、私たちは遠くで起こった戦争のニュースや過去の記録を見ていても、そこにいる当事者と同じ気持ちには決してなれないし本質的には理解できない。
「理解できない」ということを前提にして、経験していない戦争をどのように想像していけるのか、歴史や死者たちと写真や映像を介してどのようなコミュニケーションができるかを題材に制作した。"
____________作家ステイトメントより抜粋
本展覧会では模擬原子爆弾投下跡地での写真群に加え自作のピンホールカメラで撮影した長岡の花火の写真、史実と作家のリサーチ資料、音楽家の梅原徹とのフィールドレコーディング作品、映像作品などさまざまなメディアで構成されます。
2021(令和3)年度
日本画の作品に加えて、版画作品、そして新型コロナウイルス流行後から始めた映像作品による展示になります。
”まだ見えない世界”というタイトルには、世界が日々刻々と変わっていくだけでなく、私たちが世界へ向けている視線も如何様にも変わり続けていく、という肯定的な意味を込めています。
作品制作を軸とした生活の中で、日常生活にはたくさんの気付きや発見、変化の岐路があり、それが作品へと繋がっていきます。私たちにとってまだ見えないこれからの世界はどのように変わっていくのか。そしてその中でも変わらない大切なものは何か、人生が流れていくことがこれからも楽しみです。
”まだ見えない世界”というタイトルには、世界が日々刻々と変わっていくだけでなく、私たちが世界へ向けている視線も如何様にも変わり続けていく、という肯定的な意味を込めています。
作品制作を軸とした生活の中で、日常生活にはたくさんの気付きや発見、変化の岐路があり、それが作品へと繋がっていきます。私たちにとってまだ見えないこれからの世界はどのように変わっていくのか。そしてその中でも変わらない大切なものは何か、人生が流れていくことがこれからも楽しみです。
彫刻家イサム・ノグチ(1904-1988)による、実現しなかった広島原爆慰霊碑案をカウンターモニュメントの萌芽として考察した博士論文のためのリサーチを端緒とし、ノグチが釣鐘型の作品に込めたとされる、人々の死を次の世代の生へ繋げるという考え方を、私自身の個人的な体験を通して再解釈することを試みる。
人の皮膚がもつ無限の肌理(きめ)を、高精細のグレースケール写真で提示する連作《Skin》と、数千個のガラスの球体を用いた、新作のインスタレーション《Glass Balls》を展示